聞書第一 〇一八一 衆道の心得は「好いて好かぬもの」、命は主君に奉るもの 原文 一、星野了哲は、御國衆道の元祖也。弟子多しと雖も、皆一つづゝを傳へたり。枝吉氏は理を得られ候。江戸の御供の時、了哲暇乞に、「若衆好きの得心いかゞ。」と申し候へば枝吉答に、「すいてすかぬもの。」と申され候。了哲悦び、「其方を夫れだけになさんとて、多年骨を折りたり。」と申され候。後年、枝吉に其の心を問う人あり。枝吉孟され候は、「命を捨つるが衆道の至極也。さなければ耻になる也。然れば主に奉る命なし。それ故、好きて好かぬものと覺え候」由。
聞書第一 〇一八一 衆道の心得は「好いて好かぬもの」、命は主君に奉るもの 現代語訳 一、星野了哲は、御国衆道の元祖である。弟子が多いと言っても、皆に一つづつ伝授した。枝吉氏は理を会得した。江戸へ御供で出向くため、了哲へ暇を頼みに行ったとき、「衆道好きの心得とは」と聞かれたので枝吉が答えて、「好いて好かぬもの」と言った。了哲は喜んで、「その方をそれだけのものにするために、長年骨を折ったかいがあった。」と言った。後年、枝吉にその意味を問うた人がいた。枝吉は、「命を捨てるのが衆道の至極である。しかしそうすれば恥になる。主君に奉る命がなくなってしまうからだ。それ故、好いて好かぬものと考ている。」と言ったとの事。