聞書第一 〇一八〇 衆道の情も一生一人、武人は二道せずに武道に勵め 原文 一、式部に意見あり。若年の時、衆道にて多分一生の耻になる事あり。心得なくしては危なき也。言ひ聞かする人が無きもの也。大意を申すべし。貞女兩夫にまみえずと心得べし。情は一生一人のもの也。さなければ野郎かげまに同じく、へらはり女にひとし。是は武士の耻也。「念友のなき前髪は縁夫もたぬ女にひとし。」と西鶴が書きしは名文也。人がなぶりたがるもの也。念友は五年程試みて志を見届けたらば、此方よりも賴むべし。浮氣者は根に入らず、後は見はなすもの也。互いに命を捨つる後見なれば、よくよく性根を見届くべき也。くねる者あらば「障あり」と云うて、手強く振り切るべし。「障は」とあらば、「それは命の内に申すべしや。」と云ひ、むたいに申さば腹立て、無理ならば切り捨つべし。又男の方は、若衆の心底を見届くること前に同じ。命を擲ちて五六年はまれば、叶はぬと云ふ事なし。尤も二道すべからず。武道を勵むべし。爰にて武士道となる也。
聞書第一 〇一八〇 衆道の情も一生一人、武人は二道せずに武道に勵め 現代語訳 一、式部に意見があった。若い時には、男色では多くの場合一生分の恥となる事がある。心得がないと危ない。言い聞かせる人はいないものだ。大筋を話そう。貞節を固く守る女性は、複数の男と交わらない物だと心得よ。愛情は一生に一人にささげるものだ。そうでなければ男娼と同じく、淫乱女と等しい。これは武士の恥だ。「兄貴分のいない元服前の若衆は、婚約者の居ない女と等しい。」と井原西鶴が書いたのは名文だ。人が馬鹿にしたがるものだ。兄貴分は五年程様子を見て志しを見届けたら、こちらから声をかける。浮気者は根気がなく、後になって見放すものだ。お互いに命を捨てる覚悟ならば、よくよう根性を見届けるべきだ。ひねくれた者ならば、「障りあり」と言って、手強く振り切るべきだ。「障りとは何だ」と聞かれれば、「それは命ある内に言う事か。」と言って、むたいに言うならば腹を立てて見せ、無理を言うなら切り捨てる。又男の方は、若衆の心底を見届ける事は前と同じ。命を擲って五、六年はまれば、叶わない事はない。もっとも、二つの道を追い求めてはいけない。武道に励むべきだ。ここに武士道となる。