聞書第一 〇一七〇 四十にして惑はずとは孔子ばかりでない、賢愚共に功が入る 原文 一、龍泰寺の話に、上方にて易者申し候は、御出家方にても、四十よりうちの立身無用にて候。誤有るものにて候。四十にして惑はずと云ふは孔子の上ばかりにてはなし。賢愚共に四十になれば、たけたけ相應の功の入りて惑はぬものと也。
聞書第一 〇一七〇 四十にして惑はずとは孔子ばかりでない、賢愚共に功が入る 現代語訳 一、龍泰寺の話では、上方で易者が言うには、御出家方でも、四十より内は出世は無用であるとの事。誤りがあるものだ。四十にして惑わずと言うのは孔子の教えだけの事ではない。賢くても愚かでも四十になれば、それ相応となって惑わない物であると。