聞書第一 〇一六七 老耄は得方にするもの、山本常朝殿様十三年忌限りに禁足 原文 一、老耄は得方にするものと覺たり。氣力強き内は差引きをして隠し果すれども、衰へたる時、本體の得方が出で、耻しきもの也。色品こそかはれ、六十に及ぶ人の老耄せぬはなし。せぬと思ふところが早老耄也。一鼎は理窟老耄と覺えたり。我一人して御家は抱へとむるとて、歴々方へ老いぼれたる形にて、駆け廻り入魂を仕られ候。諸人尤もと存ずる事にて候。今思へば老耄也。我等がよき手本老氣身に覺え候に付て、御寺へも御十三年忌に限りに不參仕り、彌々禁足に極めたり。先を積らねばならぬもの也。
聞書第一 〇一六七 老耄は得方にするもの、山本常朝殿様十三年忌限りに禁足 現代語訳 一、老耄は得意な事から進んでいくと分かった。気力が強い内は差し引きをして隠しておけるが、衰えた時は、得意な方に本音が出て恥ずかしいものだ。色品の差こそあれ、六十に及ぶ人に老耄しない人はいない。老耄しないと思っている所が、最早老耄している証しだ。一鼎は理窟老耄と分かった。自分ひとりでお家を支えると言って、それが歴々の方々と老いぼれた姿で駆け廻って親しくした。誰もが、もっともな事だと思った。しかし、今思えば老耄だ。自分たちの良い手本が衰えてしまったと判断したので、御寺へも殿の十三回忌を最後に参るのを止めさせ、いよいよ禁足を徹底した。前もって手を打たねばならない事だ。