聞書第一 〇一六三 諸人一和、自然の時の事を思ひ出會ふ度毎によく會釋せよ 原文 一、諸人一和して、天道に任せて居れば心安き也。一和せぬは、大義を調へても忠義にあらず、朋輩と仲悪しく、かりそめの出會にも顔出し悪しく、すね言のみ云ふは、胸量狭き愚痴より出づる也。自然の時の事を思うて、心に叶わぬ事ありとも、出會ふ度毎に會釋よく他事なく、幾度にても飽かぬ様に、心を附けて取合ふべし。又無常の世の中、今の事も知れず。人に悪しく思はれて果すは詮なき事也。但し賣僧輕薄は見苦しき也。是れは我がにする故也。又人を先に立て、爭ふ心なく礼儀を亂さず、へり下りて、我が爲の悪しくても、人の爲によき様にすれば、いつも初參會の様にて、仲悪しくなることなし。婚禮も作法も、別の道なし。終を愼む事始の如くならば、不和の儀あるべからざる也。
聞書第一 〇一六三 諸人一和、自然の時の事を思ひ出會ふ度毎によく會釋せよ 現代語訳 一、諸人が一和して、天道に任せていれば安心である。一和しなのは、大義を調えても忠義ではない。朋や先輩後輩と仲悪く、簡単な集まりにも付き合いが悪く、愚痴ばかり言うのは、狭量で愚かな癖から出る。大事の時の事を思って、気に入らない事があっても、出会うたびに会釈し、何回でも飽きない様に、気を付けて取り合うべきだ。また、無常の世の中、どうなるかわからない。人に悪く思われたまま、果ててしまうのはしょうがない事だ。ただし、嘘つきや軽薄なのは見苦しい。これは自分の為にするからだ。また、人を先に立てて、争う心なく礼儀を乱さず、へりくだって、自分の為には悪くても、人の為に良い様にすれば、いつも初体面の様に、仲悪くなることもなく、婚礼の作法も、同じことだ。終りを、始めのように慎むならば、不和になる事など無いだろう。