聞書第一 〇一三六 中野數馬、七度家臣の助命を諫言して終に聞入らるゝ 原文 一、ご意見申上げ候へば、一倍御こぢ遊ばされ、却つて害になり候故、御意見申上げず、御無理の事ながら畏まり罷在り候と申され候は、皆言譯也。一命を捨てゝ申上げ候へば、聞召し分けらるゝもの也。なま皮に申上げられ候故、御氣にさかひ、言出さるゝ半ばにて打ち崩され、引取る衆計り也。先年相良求馬御氣にさかひ候。御意見を強く申上げ候に付御立腹なされ、切腹と仰出され、生野織部、山崎蔵人參り候て、内意申聞けられ候へば、求馬は、「本望至極、さりながら今一事申し残し死後迄の残念に候。各々年來の御よしみに、此の事を仰上げられ下され候様に。」と申し候に付て、即ち兩人より求馬申上げ候趣、御耳に達せられ候。尚々御立腹遊ばさるゝ事に候ひつる由に候處、「求馬切腹相待ち候様に。」と仰出され、聞召し分けられ、差免され候。又中野數馬年寄の時分、羽室清左衛門 大隈五太夫 江副甚兵衛 石井源左衛門 石井八郎左衛門御意を背き候に付切腹と仰出され候。其の時綱茂公の御前に數馬罷出て、「右の者共は御助けなされ候様に。」と申上げ候。公聞召され御立腹なされ、「詮議相極め切腹申付け候に、助くべき道理これありて申す儀に候や。」と御意なされ候。數馬これを承り、「道理は御座なく候。」と申上げ候。道理これなき處に助け候様にと申す儀不届の由、御叱りなされ引取り、又罷出で、「右の者共は何卒御助けなされ候様に。」と申上げ候に付、最前の如く又々御叱りなされ候に付引取り、また罷出で、斯くの如く七度まで同じ事を申上げ候。公聞召され、「道理はこれなき處、七度迄申す事に候間、助くる時節にてあるべし。」と、忽ち思召し直され、御助けなされ候。斯様の事共數多これあり候也。
聞書第一 〇一三六 中野數馬、七度家臣の助命を諫言して終に聞入らるゝ 現代語訳 一、御意見を申上げれば、一層意固地になられ、かえって害になるものだ。御意見を申上げず、御無理な事なのでかしこまって居るのだと言うのは、皆いいわけだ。一命を捨てて申上げれば、聞き入れられるものだ。中途半端に申上げるから、御気に障り、申上げる半ばで打ち崩されて、引取る衆ばかりだ。先年、相良求馬が御気に障った。御意見を強く申上げるから御立腹され、切腹を仰せ付けなされた。生野織部、山崎蔵人が求馬のもとを訪ねた時、求馬は「本望至極、しかし今一事言い残しており、死後迄の残念である。各々長年のよしみでこの事を殿の御耳に入れてくだされ。」と言ったので、すぐに両人は求馬から言われた内容を、殿の御耳に届けた。ますます御立腹遊ばされるかと思われていた所、「求馬の切腹は待て。」と仰せ出だされ、聞き入れられて、許されることとなった。また、中野数馬が年寄の時分に、羽室清左衛門 大隈五太夫 江副甚兵衛 石井源左衛門 石井八郎左衛門が殿の意向に背き切腹を仰せ付けられた。その時の綱茂公の御前に数馬が現れて、「右の者共はどうかお助け下さいます様に。」と申上げた。公はそれを聞いて御立腹なされ、「詮議を極めて切腹を申し付けているのに、助ける道理があると言うのか。」と仰ったので、数馬はこれを承り、「道理は御座いません。」と申し上げた。道理がない所にお助け下さいと申し上げた件は不届きであるとして、御叱りを受けて引取ったが、またやってきて、「右の者はどうかお助け下さいます様に。」と申し上げたので、前回の如くまたまた御叱りを受けて引取ったが、又やってきて、この様に七度同じことを繰り返した。公はお聞き入れなさって、「道理がない所に、七度まで申すと言う事は、助ける頃合いであろう。」と思いなおされて、御助けなさった。この様な事は数多くある。