聞書第一 〇一三三 歸参者の心構へ、見ず言はず動かずの心据わりが肝要 原文 一、何某、歸参伜初めて御目見の時申し候は、「御礼仕り候節、さてさて有難き事哉。埋れ候者が、御目見を仕り、冥加の仕合せこれに過ぎず、此の上は身命を擲ち、御用に罷立つべくと觀念有るべく候。此の一心即ち御心に観應有りて御用に立ち申す事に候。」と申し候。又、「御禮前、殿中にて目に物を見ず、口に物を言はずと合點して、すわれたる處を動かず、人の申懸け候とも、十言は一言にて濟し申すべく候。脇より見て、しつかりと見え申し候。八方を眺め口をたゝき候に付て、内の心が外にちり、うかつげに見ゆるなり。心のすわりと申すもの也。馴れ候程失念有るまじき。」と申し候也。
聞書第一 〇一三三 歸参者の心構へ、見ず言はず動かずの心据わりが肝要 現代語訳 一、何某が、倅が帰参して初めての御目見えの時に倅に、「御礼を申し上げる時には、さてさて有難い事だ。埋もれていた者が御目見えを仕り、神仏の御加護の仕合せにすぎず、この上は身命を投げ打って、御用に立つようにと覚悟決めるべきである。この一心は即ち御心に観応して御用に立つ事だ。」と言った。また、「御礼前、殿中では目に物を見ず、口に者を言わずと心得て、座わったところを動かず、人に話しかけられても、十言を一言にて済ますように。そうすれば、はたから見てしっかりと見える。八方を眺め口を叩くと、心の内が外に出て、うかつな者に見える。心の座りというものだ。馴れても忘れてはならない。」と言った。