聞書第一 〇一三一 一飯を分けて下人に食はすれば人は持たるゝもの 原文 一、山本神右衛門(善忠)兼々申し候は、「侍は人を持つに極り候。何程御用に立つべくと存じ候ても、一人武邊はされぬもの也。金銀は人に借りてもあるもの也、人は俄になきもの也。兼てよく、人を懇に扶持すべき也。人を持つ事は、我が口に物を食うてはならず、一飯を分けて下人に食はすれば、人は持ちたるゝもの也。それ故、『身上通りに神右衛門程人持ち候人はこれなく、神右衛門は我に増したる家來を多く持ち候。』と其の時分取沙汰也。仕立て候者に御直の侍、手明槍に罷成り候衆數多これある事に候。偖又組頭に仰付けられ候節、『組の者の儀は神右衛門氣に入り候者を新に召抱へ候様に。』と仰付けられ、御切米下され候。皆家來共にて候。勝茂公御月待遊ばされ候時分、寺井のしほゐを取りに遣はされ候。『神右衛門組の者申し付け候様に。此の者共は深みに入りて汲むべき者共。』と御意なされ候。斯様に御心附き候ては、志を勤め候では叶はざる事也。」
聞書第一 〇一三一 一飯を分けて下人に食はすれば人は持たるゝもの 現代語訳 一、山本神右衛門(善忠)が、かねがね言っていたことには、「侍の極みは部下を持つ事である。どのように御用に立とうと思っても、一人では武辺は為らない。金銀は人に借りても用意できる。人は直ぐには用意できない。かねてから、良い関係を保ち助けるべきである。人を持つと言う事は、自分の口に物を食べてはならず、一食を分けて下人に食べさせれば、人は持たれるものだ。それ故、『身上通りに神右衛門ほど人を持つ人は居らず、神右衛門は自分より勝れた家来を多く持っている。』とその時分には取り沙汰された。育てた者に殿直属の侍、手明槍に成った衆などが多数いる。さてまた、組頭に仰せ付けられた時、『組の者の件は、神右衛門が気に入った者を召し抱えるように。』と仰せ付けられ、禄米を与えられた。組の者は皆、家来であった。勝茂公が御月持ち遊ばされた時分、寺井の神水を取に遣わされた。『神右衛門組の者に申し付ける様に。この者達は深見に入ってまで汲んでくるであろう者共だ。』と仰せになった。斯様な信頼を受けるのは、志を勤めなければ叶わない事だ。」