聞書第一 〇一一六 名人も人我も人、何しに劣るべきかと打向へば道に入る 原文 一、「名人の上を見聞きて、及ばぬ事と思ふは、ふがひなきこと也。名人も人也、我も人也、何しに劣るべきと思ひて、一度打向へば、最早其の道に入りたる也。十有五にして學に志すところが即ち聖人也。後に修業して聖人に成り給ふにはあらず。」と、一鼎申され候。初發心時辨成生覺ともこれある也。
聞書第一 〇一一六 名人も人我も人、何しに劣るべきかと打向へば道に入る 現代語訳 一、「名人の様子を見聞きして、とてもかなわないと思うのは、ふかい無い事だ。名人も人、我も人だ。何で劣らなければいけないのかと思って、一度立ち向かえば、最早その道に入っている。十有五にて学ぼうと志すことが、すなわち聖人である。あとで修業して聖人に成ったのではない。」と、一鼎は申された。初発心時弁正覚とも言われている。