聞書第一 〇〇八六 人に會はゞ片時も氣の脱けぬ様に、平生の覺悟が大事 原文 一、決定覺悟薄き時は、人に轉ぜらるゝ事有り。又衆會話の時分、氣ぬけて居る故に、我が覺悟ならぬ事を、人の申懸話などするに、うかと移りて、それと同意に心得、挨拶も「いかにも」と云ふ事有り。脇より見れば、同意の人の様に思はるゝ也。其れに付き、人に出會ひて、片時も片時も氣の脱けぬ様に有るべき事也。其の上話し又は物を申しかけられ候時は、轉ぜらるまじきと思ひ、我が胸に合わぬ事ならば、其の趣申すべしと思ひ、其の事を越度申すべしと思ひて取合ふべし。差立てたる事になくても、少しの事に違却出來るもの也。心を附くべし。又豫ていかゞと思ふ人には馴寄らぬがよし。何としても轉ぜられ、引入れらるゝもの也。爰の慥に成る事は、功を積まねばならぬ事也。
聞書第一 〇〇八六 人に會はゞ片時も氣の脱けぬ様に、平生の覺悟が大事 現代語訳 一、優柔不断であったり覚悟が薄い者は、人に言いくるめられる事がある。また、皆で会話する時、気を抜いている事が原因で、自分の覚悟が無い事を、人のいわれるままに、うっかり乗ってしまい、それに同意したと思って、挨拶の様に「いかにも」と言う事がある。はたから見れば、同意した人のように思われる。それについて、人に出会って、片時も片時も気を抜かぬ様に有るべきだ。その上、話しまたは、物を言われたときは、転ばされるものかと思って、自分の胸と合わない事ならば、その趣を伝えると思って取り合うべきだ。差たる事でなくても、少しの事で道理から外れてしまうものだ。気を付けるべきだ。また、かねてから如何なものかと思う人には近寄らないのが良い。なんとしても転ぜられ、引き入れられるものだ。ここが確かにするには、功を積まねばならない。