聞書第一 〇〇七一 役を仰付けられても慢心するな、浮氣でゐると仕損じがある 原文 一、吉凶に付、仰渡しなどの時、無言にて引取りたるも、當惑の體に見ゆる也。能き程の御請あるべき事也。前方の覺悟が肝要也。又、役など仰付けられ候節、内心に嬉しく思ひ、自慢の心などあれば、其の儘面に顕はるゝもの也。數人見及びたり。見苦しきもの也。我等不調法なるに、斯様の役仰付けられ、何と相調ふべきや、さてさて迷惑千萬、氣遣なる事かなと、我が非を知りたる人は詞に出さずとも面に顕はれ、おとなしく見ゆるなり。浮氣にて、ひようすくは道にも違ひ、初心にも見え、多分仕損じ在るもの也。
聞書第一 〇〇七一 役を仰付けられても慢心するな、浮氣でゐると仕損じがある 現代語訳 一、吉凶について、仰せ渡しの時は、無言で受け取っても、当惑しているように見える。適切に受け取るべきだ。前もって覚悟しておくことが肝要だ。また、役人など仰せ付けられる折は、内心でうれしく思い、自慢の心などがあれば、そのまま顔に現れるものだ。数人見たことがある。見苦しい。我等は不調法であるのに、この様な役を仰せ付けられ、どのように調えるべきか、迷惑千万、気違いの様な事だ、と我が非を知る人は言葉に出さなくても顔に現れ、おとなしく見える。浮ついて、軽々しく調子に乗る者は道を間違え、未熟と見えて、良く失敗するものだ。