聞書第一 〇〇六三 武士の身嗜は伊達や風流の爲でなく、常住討死の覺悟から 原文 一、五六十年以前迄の士は、毎朝、行水月代髪に香ををとめ、手足の爪を切つて輕石にて摺り、こがね草にて磨き、懈怠なく身元を嗜み、尤も武具一通りは錆を附けず、埃を拂ひ、磨き立て召置き候。身元を別けて嗜み候事、伊達のように候へども、風流の儀にてこれなく候。今日討死、今日討死と必死の覺悟を極め、若し無嗜みにて討死いたし候へば、かねての不覺悟もあらはれ、敵に見限られ、穢まれ候ゆゑに、老若共に、身元を嗜み申したる事にて候。事むつかしく、隙つひえ申すやうに候へども、武士の仕事は斯様の事にて候。別に忙しき事、隙入る事もこれなく候。常駐討死の仕組に打ちはまり篤と、死身になりきつて、奉公も勤め、武邊も仕り候はゞ恥辱あるまじく候。斯様の事を夢にも心附くかず、欲得我が儘ばかりにて日を送り、行き當りては恥をかき、其れを恥とも思はず、我さへ快く候へば、何も構はずなどと云ひて放埓無作法の行跡に成行き候事、返す返すも口惜しき次第にて候。かねて必死の覺悟これなき者は、必定死場悪しきに極り候。又兼ねて必死に極め候はゞ何しに賤しき振舞あるべきや。此のあたり、よくよく工夫仕るべき事也。又三十年以來、風儀打替り、若侍共の出會の話に、金銀の噂、損得の考、内證事の話、衣装の吟味、色慾の雜談計りにて、此の事なければ、一座しまぬ様に相聞え候。是非なき風俗に成行き候。昔は二三十ども迄も、素より心の内に賤しき事持ち申さず候故、詞ににも出し申さず候。年輩の者も不圖申出で候へば、怪我の様に覺え居り申し候。これは世上華麗になり、内證方計りを肝要に眼附け候故にて是在るべく候。我が身に似合はぬ驕りさへ仕らず候へば、ともかくも相濟むものに候。又今時若き者の始末心是在るを、よき家持などと褒むるは淺ましき事にて候。始末心是在る者は、義理を缺き申し候。義理なき者は寸口垂れ也。
聞書第一 〇〇六三 武士の身嗜は伊達や風流の爲でなく、常住討死の覺悟から 現代語訳 一、五、六十年前までの侍は、毎朝行水し、月代や髪に香りをとどめ、手足の爪を切って軽石で削り、こがね草で磨いて、怠けることなく身だしなみを整え、当然武具は錆びさせず、埃を払い、磨き立てて置いた。身だしなみを特に整えたことは、伊達男の様に思えるが、風流の為ではない。今日討死、今日討死と必死の覚悟を極めて、もしだらしないまま討死すれば、かねての覚悟のほども知れてしまい、敵に見限られ蔑まれるので、老若共に、身だしなみを整えるのである。めんどくさく、時間がかかる様に思われるが、武士の仕事はこのような事だ。別に難しくもなく、時間もかからない。常に討死する覚悟を決めるやり方に集中して、すっかりと死んだ気に成り切って奉公に勤め、武辺も行えば恥をかくことは無い。この様な事を夢にも気づかずに、欲得やわがままばかりで日々を送り、行き当足りばったりで恥をかき、それを恥とも思わず、自分さえ快ければ、構わないなどと言って我慢せずに不作法な行いになって行く事は、返す返す失望する次第だ。かねて必死の覚悟が無い者は、ろくな死に方はしない。また、かねてより必死に極めれば、どうして卑しい振る舞いになることがあるだろうか。このあたり、よくよく工夫するべき事だ。また三十年来、風紀が変わってしまい、若侍共が集まって話すことは、金銀の噂、損得の考え、どう生計を立てるかの話、衣装の吟味、色欲、雑談ばかりでこの事が無ければ座が持たないと聞く。しょうがない風俗になってゆくものだ。昔は、二、三十どもまでも、もとより心の内に賤しい事は持っておらず、言葉にも出さなかった。年配の者もふと出てしまったら、怪我の様に考えていた。これは世の中が華麗になり、生計の立て方ばかりが関心事であるようだ。わが身に似合わぬ驕りさえ持っていなければ、とにかく何とかなるものだ。また今時の若者が倹約するのを、良き家持だなどと褒めるは浅ましい事だ。倹約する者は、義理を欠く。義理が無いものは汚い者だ。