聞書第一 〇〇六二 寄親組子は親子同然、寄親を離れては出世も思はぬ 原文 一、昔は寄親組子他事なき心入れ有り。光茂公の御代、御馬廻御使番母衣一人不足の時、御家老中御詮議にて、若手に器量の者候間、馬渡源太夫仰付けらるべき旨、相〆り候。此の事源太夫親市之允隠居にて罷り在り候が、承り附き、寄親中野數馬早走りにて參り候て申し達し候は、「さても是非に及ばざる仕合せに候。御組の儀、皆御一門衆計りにて候ゆえ、拙者覺悟には、御一門衆を追越し、寄親の用に罷立つべくと存じ部まり、源太夫にも、一門組にて候間油斷仕らず一門衆を押しのけ、寄親の用に罷立ち候様にと兼ねて申し聞き置き候。然る所に御組内より源太夫御選り除け候儀面目次第もこれなく、御情けなき成され方にて候。此の上は知行主に罷成り候源太夫は申すに及ばず、隠居仕り候拙者とても世間に面目なきに付いて、父子共に覺悟を相極め申し候。」由、屹度申し候。數馬之を承り、「以っての外の了簡違ひにて候。今度の組替は源太夫規模の仕合せ之に過ぎず候。御家老中御詮議、器量者に候故、仰付けられ候由、父子ながら成程悦び申さるゝ筈に候。」と申し候へば市の允申し候は、「御詮議の節、彼者は私一門同然に組内寄合ひ申す者に候へば、差出し候儀罷成らずとおおせ達せらるゝ筈に候を、御請合成され候は兼々他事なくも思召されざる故にて候。爰を以って見限成され候儀と、骨髄に通り遺恨に存じ候」由、中々存じ部りたり様子に申し候。其の時數馬を申し候は、「成程尤もにて候。今日御家老中に御斷り申し候て見申すべく候」由、申し候に付て、「せめて其の御一言なり共承らず候ては罷歸り難し。」と申し候て、歸り申し候。數馬登城致し、御家老中へ申し候は、「人の命は知れぬ物にて候。私儀今朝、すでに太腹を突かれ申し候。斯様々々の仔細にて候間、源太夫儀は御免成され候様に。」と申し候故、余人に仰付けられ候由也。
聞書第一 〇〇六二 寄親組子は親子同然、寄親を離れては出世も思はぬ 現代語訳 一、昔は寄親組子には他にはない心入れがあった。光茂公の代、お馬回りお使い番の母衣が一人不足していた時、御家老中が詮議して、若手に器量が良い者いると、馬渡源太夫が仰せ付けられる旨決定し、詮議を終えた。この事を源太夫の親で隠居していた市之允が承り、寄親の中野数馬の所へ早馬で走って参って言う事には、「さてもしょうがない事になった。御組の儀では、皆御一門衆ばかりなので、一門衆を追い越し、寄親の役目を果たすと拙者は覚悟を決めているので、源太夫にも、一門組では油断せずに、一門衆をおしのけ、寄親の役に立つようにと常々から言い聞かせて置いた。そうであるから、御組内より源太夫を追い出してしまったこと、大変面目なく、情けのないやり方である。この上は知行主になった源太夫は言うに及ばず、隠居している拙者も世間に面目が無いので、父子共に覚悟を決めた。」ときつい調子で言った。数馬はこれを聞いて、「もっての外の考え違いだ。今度の組み替えは、源太夫の家門の名誉に過ぎない。御家老中の詮議は、器量が良い者であるが故に、仰せ付けられたとの事、父子ならば納得して喜ぶ筈だ。」と言われたので、市之允は、「御詮議の折、かの者は自分の一門同然に組内寄合う者であるので、差し出すことはできないと仰せ頂ける筈の所を、お請け合いなされたと言う事はかねがねよそ者ではないと思って下さっていなかったからである。これを以て見限られなさったと、骨の髄まで残念に感じている。」と感極まった様子で言った。其の時、数馬は、「成るほど、もっともだ。今日御老中にお断って見よう。」と言われたので、「せめて、その御一言なりとも頂かずには帰れない。」といって帰っていった。数馬は登城して、御老中に、「人の命は分からないもの。私ごとだが、今朝すでに太腹を突かれた。かくかくしかじかの事情なので、源太夫の役は解かれなされます様に。」と言ったので、残りの人にもそのように仰せ付けられたとの事。