聞書第一 〇〇五五 打返しは踏懸けて切殺さるゝ迄、赤穂義士の敵討ちは延び延び 原文 一、何某、喧嘩打返しをせぬ故恥になりたり。打返しの仕様は、踏懸けて切殺さるゝ迄也。これにて恥にならぬ也。仕果すべしと思ふ故、間に合はず。相手何千人もあれ、片端より撫切りと思ひ定めて、立向かふ迄にて成就也。多分仕濟ますもの也。又淺野殿浪人夜討も、泉岳寺にて腹切らぬが落度也。又主を討たせて、敵を討つ事延び延び也。若し、其の内に吉良殿病死の時は残念千萬也。上方衆は智慧かしこき故、褒めらるゝ仕様は上手なれども、長崎喧嘩の様に無分別にする事はならぬ也。又曾我殿夜討の殊の外延引、幕の紋見物の時、祐成圖をはづしたり。不運の事也。五郎申様見事也。總じて斯様の批判はせぬものなれども、これも武道の吟味なれば申す也。前方に吟味して置かねば、行當りて分別出來合はぬ故、大かた恥になり候。話を聞覺え、物の本を見るも、かねての覺悟のため也。就中、武道は今日の事も知らずと思ひて、日々夜々に箇條を立てて吟味すべき事也。時の行掛りにて勝負はあるべし。恥をかゝぬ仕様は別也。死ぬ迄を考へず、無二無三に死狂ひするばかり也。これにて夢覺むる也。
聞書第一 〇〇五五 打返しは踏懸けて切殺さるゝ迄、赤穂義士の敵討ちは延び延び 現代語訳 一、何某が、喧嘩の打ち返しをしかかったので恥となった。打ち返しのやり方は、押しかけて切り殺されるだけだ。これで恥にはならない。やり遂げようと思うから、間に合わないのだ。相手が何千人であっても、片っ端から撫で斬りにすると思いを定めて、立ち向かうだけで成就している。多くは仕留めることも出来るものだ。また、浅野殿の浪人夜討ちも、泉岳寺で腹を切らなかったのが落ち度である。主を討たれて、敵を討つことが延び延びになった。もしその内に吉良殿が病死してしまった場合は、残念千万だ。上方衆は知恵かしこいので、褒められるやり方は上手だが、長崎喧嘩の様に無分別には出来ていない。また、曽我殿夜討ちがことのほか延びて、幕の紋見物の時には、祐成は失敗してしまった。不運な事だ。五郎の言いようは見事であった。総じてこの様な批判はしないものだが、これも武道の吟味なので申し上げる。事前に吟味しておかなければ、行き当たりばったりでは分別が間に合わないので、大かたは恥になる。話を聞いて学び、物の手本を見るのも予ねての覚悟の為だ。とりわけ、武道は今日事があるかもしれないと思って、日々夜々に箇条を立てて吟味するべきだ。時の成り行きで勝負は決まる。恥をかかぬやり方は別だ。死ぬことは考えず、無二無三に死狂いするだけだ。これで夢が覚めるだろう。