聞書第一 〇〇四九 上方言葉は無興千萬、御國では田舎風の初心が重寶 原文 一、何某、大坂へ數年相勤め、罷下り、請役所へ罷出で候節、上方口にて物を申され候に付、無興千萬の物笑にて候。それに付、江戸上方へ久しく詰め候節は、常よりも御國口を開き申すべき事に候。おのづと其の風に移り、御國方の事は田舎風と見おとし、他方にすこしも理の聞えたる事の候時は、それを羨み申す儀、何の味も存ぜず、うつけたる事也。御國は田舎風にて初心成るが御重寶に候。他所風まね候ては似せ物にて候。或人春岳へ、「法華宗は情がこはき物にて宜しからず。」と申され候。春岳申され候は、「情はのこはきゆゑ法華宗にて候。情のこはくなければ他宗にてこそ候へ。」と申され候。尤もの事に候。
聞書第一 〇〇四九 上方言葉は無興千萬、御國では田舎風の初心が重寶 現代語訳 一、何某が、大阪へ数年勤めて帰国し、請役所へ出向いた時、上方言葉で話したので、興ざめの笑い者となった。それに付け、江戸上方へ長く詰めていたときは、普段よりもお国言葉を使うべきだ。おのずと江戸上方風が移り、お国方の事は田舎風だと見下し、他方に少しでも良い所があると、それを羨むのは、何の味も知らない、うつけである。お国は田舎風で初々しいので重宝されるのだ。他所風に真似をしては偽物である。ある人が春岳に、「法華衆は情が強いので良くない。」と言った。春岳は「情が強いのが法華宗だ。情が強くなければ他宗になってしまう。」と言った。もっともな事だ。