聞書第一 〇〇四五 劍道修行に果てはない、昨日よりは今日と一生日々仕上ぐる事 原文 一、或劍術者の老後に申し候は、「一生の間修行次第がこれある也。下の位は修行すれども物にならず、我も下手と思ひ、人も下手と思ふ也。この分にては用に立たざる也。中の位は未だ用には立たざれども、我が不足目にかゝり、人の不足も見ゆるもの也。上の位は我が物に仕成して自慢出來、人の褒むるを悦び、人の至らざるをなげく也。これは用に立つ人也。人も上手と見る也。大方是迄也。この上に、段立ち越え道の絶えたる位ある也。その道に深く入れば、終に果て無き事を見附くる故、是迄と思ふ事ならず。我に不足ある事を實に知りて、一生成就の念これなく、自慢の念もなく、卑下の心もこれなくして果たす道を知りたり。」と申され候由。昨日よりは上手になり、今日よりは上手になりて一生日々仕上ぐる事也。これも果てなきといふ事也と。
聞書第一 〇〇四五 劍道修行に果てはない、昨日よりは今日と一生日々仕上ぐる事 現代語訳 一、ある剣術者が老後に言ったのは、「一生の間には修業の段階がある。下の位は修業しても物にならず、自分でも下手だと思い、人からも下手だと思われる。この段階では、役に立たない。中の位は未だに役には立たないが、自分の足りない所が目につき、人の足りない所も見えるようになる。上の位は自分の物として自慢でき、人に褒められるのを喜んで、人が至らないのを嘆く。これは役に立つ人だ。人からも上手とみられる。大方、ここ迄である。この上に段階を超えて道が途絶えた位がある。その道に深く入れば最後まで果てが無い事が分かるため、これで良いと思う事が出来ない。自分に不足があることを切実に思い知って、一生願いをかなえようとは思わず、自慢しようとも思わず、自分を卑下する心もなく命を終わらせる道を悟る。」という事だ。昨日よりは上手になり、今日よりは上手になって一生日々仕上げる事である。これも果て無いと言う事だ。