聞書第一 〇〇四四 碁にも脇目八目、道に達するには念々知非、人に談合する事 原文 一、不義を嫌うて義を立つる事成り難きもの也。然れども義を立つるを至極と思ひ、一向に義を立つる所に却つて誤り多きもの也。義よりも上に道は有る也。これを見附くる事成り難し。高上の賢智也。これより見る時は、義などは細きもの也。我が身に覺えたる時ならでは知れぬもの也。但し我こそ見附くべき事成らずとも、この道に至り様はある也。人に談合也。たとへ道に至らぬ人にても、脇から人の上は見ゆるもの也。碁に脇目八目と云ふが如し。念々知非と云ふも談合に極る也。話を聞き覺え書物を見覺ゆるも、我が分別を捨て、古人の分別に附く爲也。
聞書第一 〇〇四四 碁にも脇目八目、道に達するには念々知非、人に談合する事 現代語訳 一、不義を嫌って、義を立てる事は難しい。しかし、義を立てることを至極と思い、一向かいに義を立てる所にかえって誤りが多いものだ。義よりも上に道はある。これを見つける事は難しい。至高の賢智である。ここから見ると、義などは細いものだ。わが身に覚えがなければ分からない物だ。ただし、自分で見つけることが出来なくても、この道に至る方法はある。人に相談するのだ。たとえ道に至らぬ人にでも、脇から人の身の上は見える物だ。碁で言う脇目八目という様な物だ。色々考えて自分の至らないところを知ると言うが、極みは相談である。話を聞いて学び書物を読んで学ぶのも、自分の分別を捨てて、古人の分別を身に着ける為である。