聞書第一 〇〇一二 我が身を擲ちさへすればすむ、今はすくたれ腰抜慾深ばかり 原文 一、御逝去前、上方に罷有り候處に、何としいる事に候や、罷下り度き心出来候に付て、河村賴み、御使申し乞ひ、夜を日に継いで下り候が、漸く参り合ひ候。不思議と存じ候。御氣色差詰められ候と有る事は、嘗て上方へ相知れざる時分にて候。若年の時分より、一人被官は我等也と思ひ込み候一念にて、佛神の御知らせかと存じ候。差出でたる奉公仕りたる事もなく、何の徳もなく候へども、其の時は兼て見はめの通り、我等一人にて御外聞は取り候と存じ候。大名の御死去に御供仕り候者は、一人もこれなく候ては淋しきものにて候。これにて能く知れたり。擲ちたる者はなき者にて候。唯、擲ちさへすれば済む也。すくたれ腰抜け慾深の、我が爲ばかり思ふきたなき人が多く候。數年胸わろくして暮し候由。
聞書第一 〇〇一二 我が身を擲ちさへすればすむ、今はすくたれ腰抜慾深ばかり 現代語訳 一、先代の御逝去の時、上方に居が、何故か帰国したい気持ちになり、河村に頼んで、用事を作ってもらい、急いで帰国して、ようやく間に合った。不思議なことだ。お具合が悪くなっていると言う事は、まだ上方には知らされていなかった。若年の頃より、家来は自分ひとりだと思い込み念じていたので、神仏のお知らせがあったのだと思っている。突出した奉公をした事もなく、何の徳もなかったが、その時はかねてからの見当のとおり、自分ひとりにて体面を守ったと思っている。大名の御死去にお供が一人もいないのでは淋しい。これで良く分かった。命を投げ打って仕えているものは居ない。ただ、命を投げ打って使えればいいのだ。間抜け、腰抜け、欲深の自分の事ばかり考えている汚い人が多い。それから数年気分が悪いまま過ごした。