聞書第一 〇〇〇九 一人當千となるには善悪共に主人と一味同心する事 原文 一、主君の味方として、善悪共に打任せ、みを擲つて居る御家来は他事なきもの也。二三人あれば御所方黒むもの也。久しく世間を見るに、首尾よき時は、智慧分別藝能を以て御用に立ち、ほのめき廻る者多し。主人御隠居成され候か、御かくれ成され候時には、早後むき、出る日の方へ取入る者數多見及び、思ひ出しても、きたなき也。大身小身智慧深き人藝の有る人、我こそめきて御用に立たるれども、主人の御爲に命を捨つる段になりて、へろへろとなられ候。香しき事少しもなし。何の御益にも立たぬ者が、件の時は一人當千と成る事は、兼ねてより一命を捨て、主人と一味同心して居る故也。御逝去の時ためし有り。御供の所存の者我一人也。其の後見習ひてされたり。日頃口を利き、張肘をしたる歴々の衆が、御目ふさがると其の儘、後むき申され候。主従の契、義を重くするなどと云ふは、遠い事の様に候へども、目前に知れたり。唯今、一はまりはまれば、究竟の御家来出現也。
聞書第一 〇〇〇九 一人當千となるには善悪共に主人と一味同心する事 現代語訳 一、主君の味方として、善悪共に打ち任せて、身を投げ打っている御家来は他のことを顧みないものである。二、三人いればお家は上手くいくものだ。長く世間を見ると、首尾の良いときは、知恵や分別や芸能を以て役に立ち、自慢して回る者が多い。主人がご隠居なされるか、亡くなられた時には、そっぽを向いて、勢いのある方へ取り入るものが数多くおり、思い出しても、卑怯である。大身小身知恵の深い人芸のある人は、我こそはと御用に立つが、儒人の為に命を捨てる段になっては、へろへろとなってしまう。香しい所は少しもない。何の役にも立たぬ者が、主人の為に命を捨てる時に一人当千と成るのは、かねてより一命を捨て、主人と一味同心しているからだ。先代の御逝去の時に同じことがあったお供をする所存の者は私一人だった。そのあとに、私を見習ったのだ。日頃偉そうなことを言い、肘を張っている歴々の衆が、御目が塞がると、そのまま後ろを向いたのだ。主従の契り、義を重くするなどと言うのは、遠いことのように思えるが、目の前に知れた。只今、一押しすれば、究極の御家来が出現するのだ。